虹の岬の喫茶店 森沢明夫 幻冬舎 2013-12-04 by G-Tools |
小さな岬の先端にある喫茶店。そこには美味しいコーヒーと、お客さんの人生に寄り添う音楽を選曲してくれるおばあさんがいた。彼女は一人で店を切り盛りしながら、時折海を眺め何かを待ち続けていた。その店に引き寄せられるように集まる、心に傷を抱えた人々――彼らの人生は、その店との出逢いで、変化し始める。疲れた心に寄り添う、癒し小説。
(Amazon紹介ページより)
先日見に行った映画「ふしぎな岬の物語」の原作です。
「ふしぎな岬の物語」(2014年10月18日)
映画がいろいろモニョモニョだったんで、図書館で予約してようやく順番が回ってきました。
読了した感想。
「あれー、どうしてコレがああなっちゃったの???」
つまりですね。
映画を見て、ワタシが「???」となった部分の大半が映画オリジナルだったんです。
原作は、とても穏やかな小説でした。
現実に疲れた人たちが、岬の先にある小さな喫茶店で再び元気を取り戻す、というオムニバス形式の物語です。
なので、映画がぶつ切りな感じだったのも納得といえば納得、だったりはする。
しかし、だな。
一番納得いかなかったのは、「店主(悦子さん)の甥っ子(浩司)の基本設定が全然違う」ということ。
原作では「若い頃ちょっとヤンチャしてた人」程度で、悦子さんのことも「オバちゃん」と呼んで敬愛してる、程度だったのに、映画ではなんであんなにアレな人になっちゃったんだろう。
あの設定変更のせいで、かなり映画の方向性が変わった気がする。
あと、映画のタイトルで削られちゃった「虹」ですが、悦子さんの旦那さんが描いた虹の絵、という以外にも、原作では悦子さんが旦那さんが見たという「夕焼けの海に架かる虹」を待ち続けている、という重要設定があるんです。
(ココに「ん?」と思うのは、舞台となる喫茶店の場所に土地勘のある人)
そのへんも映画ではまるっと削られちゃったのはなぜだろう。
その代わりに挿入された「ふしぎ」ですが、結局「ふしぎ」だったのは、最初の話の父子の女の子が不思議な力を持ってる、という設定と、悦子さんを演じた吉永小百合の存在そのもの、だったのかもしれず(笑)
他にも、
・父子の話で、娘はわりとフツー。
・泥棒の話で、カップを割った人が変わってる。
・就活中の大学生の話はまるっとカット。
・不動産屋は関西弁じゃないので、大阪転勤も違和感ない。
(そもそも不動産屋じゃなくて建設会社だし)
・花農家に嫁入りした都会の女性の話は映画オリジナル。
(結婚式に関連する一連の流れ含む)
常連の老人と娘の設定もオリジナル。
(老人の病気の話や娘と浩司のやり取り含む)
・虹の絵は譲らない。
・店は燃えない(←これはモデルの喫茶店が火事になったからだろうけど)
・なので、火事の後の悦子さんの独演場は存在しない。
という訳で、ワタシが映画で違和感を持った場所は、ほぼ全て原作にはない設定でした。
原作の小説はほっとする感じのほのぼの気分になれるので、わりと万人受けするよい本だと思うです。
映画に比べて、冒頭と最後とでだいぶ時間経過があるらしく、ゆったりとした空気感で短編同士がつながっていく感じが心地よい。
都会の喧騒に疲れた人にはお勧めの本かと。
その一方、映画のレビューを見ると、かなり賛否両論に分かれてます。
少なくともワタシも、映画はあんまし(´・ω・`)
吉永さんの意向なのかもしれんが、どうしてああなった、な気持ちは、原作を読了したことで更に強くなったのでありました。
【レビューの最新記事】