前々から行こうと思っていた「空海と密教美術展」です。
上野は夏休みだけあって、平日の午後にもかかわらず結構な人混みでした。
上野動物園へ向かう家族連れが多いです。
ちなみにこの時点で結構な曇天ですが、私が目的地に着くか着かないかでぼつぼつと雨が降り出し、鑑賞途中の窓からは豪快なゲリラ雨が拝めました。
よかったー雨に降られなくて。
話を戻します。
私の目的地は国立博物館なのですが、いざ着いてみると、門扉前の券売所はそこそこに人がいました。
アレ。おかしいな、平日の午後なんだからそんなに混んでるはずがないんだが。
……が、私の希望的観測を裏切り、既にコインロッカーはほぼ満員御礼。
中に入れば、展示室は予想以上の人だかり……
モノが仏教系とあってか、ご年輩の方が目立ちます。
あーそうよね。ご年輩の方は平日とか休日とか関係ないもんね(´・ω・`)
「展示作品中98.9%が国宝・重要文化財」と銘打っているだけあって、どの展示品にも「国宝」「重要文化財」の文字が燦然と。
展示は、自筆の書や肖像などで空海の人となりを紹介する「空海」に始まり、空海が中国留学で持ち帰った絵画、仏像、宝具を紹介する「入唐求宝」、天皇から賜った寺で日本の密教を興していく様を紹介する「密教胎動」、空海の思想が弟子達に引き継がれていく様を紹介する「法灯」の4部構成です。
入場してすぐ目に付くのは、重要文化財の「弘法大師像」。
「弘法大師」といえばコレ、な肖像画です。
更に奥に進むと、空海の筆による大作「聾瞽指帰」が大きく展示されておりました。
空海の現存する書は5点。今回の展覧会にはそれが全部一同に介しているそうな。
しかも、よくありがちな「巻物の一部だけ開いておく」というのではなく、全面開いてあります。
「聾瞽指帰」は、巻物の上部が縮んでしまったため、逆さの扇のように大きく湾曲した状態で展示されていました。
若かりし頃の「日本三筆」の筆は生き生きと躍動感に満ちあふれていて、ちょっと意外。
とはいえ、後の方にはまるで印刷したように美しい書体も展示されていたりして、感嘆すること至極。
先へ進むと、唐に留学した空海が日本に持ち帰った法具や絵画なども展示されています。
実際に重要な法会に使われた法具のいろいろを、一介の庶民たる我々が拝めるのもありがたいことでございます。
そして、今から千年も昔の法具が今だに美しい輝きを放っているのも驚くばかり。
重要文化財の「飛行三鈷杵」は、空海が唐から帰国する際に、密教を広める地を求めて唐の地から投げたところ、なんと高野山中の松の枝まで飛んでいった、という謂われのある有り難いお品です。
法具の美しい金の輝きや見事な造形を見ていると、そんな伝承があるのもさもありなん、と思わされました。
国宝「金銅錫杖頭」の細工の見事さにも、ただただ頭が下がります。
「美しい」ということは、少なからず崇め奉りたくなるものです。
つくづく、この時代の唐文化は世界の最先端だったんだな、と思います。
(正直、同時代のヨーロッパなんて辺境ですからね)
法具に比べると、仏画や曼茶羅は経年劣化が著しいです。
「高雄曼茶羅」の銀の線は、かなり近づいて光の角度を選んでようやく、うっすらと線が見える程度。
密教の象徴ともいえる「曼茶羅」は、今回の目玉である東寺の立体曼茶羅をはじめ、多数出展されておりました。
曼茶羅は、キリスト教絵画における「最後の審判」とか「聖母被昇天」などの「無数の聖人が描かれる絵画」に近いものがあるんだろうな。
ただ、キリスト教美術はルネサンス以降も聖人達の描写をより人間に近づけているのに対し、仏教美術に描かれる諸仏の相は、人間から程遠いところで完成してしまっている、と私は思うです。
曼茶羅はその最たるもので、密教の世界観を「金剛界」「胎蔵界」の2枚の絵で現す、ということに、私は非常に「美しさ」を感じるんですよね。
先に進むと、今回の展覧会の白眉である、教王護国寺(東寺)の立体曼茶羅展示がありました。
東寺講堂には、空海の思想に基づいて21体の仏像が立体的な曼茶羅として配置されていますが、今回の展示ではそのうち8体もの仏様に東京へお越し頂いておりました。
薄暗いフロアで照明を受けて明るく輝く仏様は、まさに、現世への仏様の光臨のように見えます。
よく日本の仏教は「葬式仏教」と言われるけれど、逆に言えば一番日本人が親しんでいる宗教が「仏教」な訳で。
私も敬虔な仏教徒、という訳ではないですが、やっぱりこうして無数の仏像を目の前にすると「ありがたやありがたや」と手を合わせたくなる気持ちになるのでした。
所要時間、約1時間。
それとミュージアムショップをちょっと眺めて外に出ようとした頃、入口で拍手が聞こえました。
実はこの8月5日、「空海と密教美術展」はめでたく10万人目の入場者を迎えたのだそうな。
10万人目の方が記念品をもらって記念撮影をされてるのを横目に「そうなると私は9万9千人目くらいかなぁ」とぼんやり思っておりました。残念なようなそうでもないような。